今日の練習を、どのくらいの強さでやるのか。ここを決めきれないまま走り出した日は、後から振り返っても何を積んだのかがはっきりしません。ジャック・ダニエルズ氏の『ダニエルズのランニング・フォーミュラ』(ベースボール・マガジン社 第4版, 2022年)は、その「どのくらい」を目的別に言葉にした教科書です。
この書評では、この本の内容の全体像と限界の両方を整理します。特定の練習法を保証・推奨するものではなく、あくまで1冊の本の紹介です。
何が書いてある本か
第4版は、「トレーニングの原理」「体力を測り練習強度を決める枠組み(VDOT)」「距離・種目別のトレーニングプラン」という流れで構成されています。前半でトレーニングがなぜ効くのかという原則を扱い、中盤で各人の走力に応じて練習ペースを決める仕組みを示し、後半で800mからマラソン、ウルトラまでのプラン例を並べる、という順序です。
理論書とプラン集は別々になっていることが多いのですが、本書は両方を1冊に収めています。読んだ人が自分の練習に落とし込めるところまで橋渡しする構成で、繰り返し参照される定番になっているのだと考えられます。翻訳版は原著(Human Kinetics, 4th ed., 2022)の第4版に対応しており、版によって数値や記述が更新されているため、引用や参照の際はどの版かを意識しておくと安全です。
練習の「なぜ」を1語で共有できる——VDOTと5つのゾーン
核にあるのが「VDOT」です。ごく簡単に言えば、レースの記録などから推定した「今の走力の指標」で、この1つの数字をもとに各練習ペースの目安を導く設計になっています。細かなペース表そのものは本書の中心的な資産なので、ここで扱うのは数値ではなく、考え方の枠組みだけです。
本書では練習の強度を、目的別に5つに分けて整理しています。名称と主なねらいを要約すると、次のようになります(第4版の枠組みを要約したもので、具体的なペースやVDOTの数値は転載していません)。
| 記号 | 名称(区分) | 主なねらい | 本書での位置づけ |
|---|---|---|---|
| E | Easy(楽なペース) | 有酸素の土台づくり・回復・傷害予防 | 練習量の大半を占める基礎の強度 |
| M | Marathon(マラソンペース) | レース特異的な持久力 | 目標レースを想定した強度 |
| T | Threshold(閾値) | 長く「ややきつい」を保つ能力 | テンポ走・区切り走で扱う中核強度 |
| I | Interval(インターバル) | 最大酸素摂取量への刺激 | 高強度・短めの反復で扱う強度 |
| R | Repetition(レペティション) | スピードと動きの効率 | 最も速く短い、技術寄りの強度 |
出典: ダニエルズ『ダニエルズのランニング・フォーミュラ 第4版』(ベースボール・マガジン社, 2022)の強度区分をもとに要約。
この5分類が便利なのは、練習の「なぜ」を1語で共有できる点です。たとえば練習前に「今日はEで」と伝えるだけで、その日の狙いを共有できます。漠然と追い込むのではなく、その日の練習が何を狙っているのかを本人が理解しやすくなる。そこが、この分類の利点です。
この枠組みは、独立した運動生理学の研究ともゆるやかに重なります。I(インターバル)のねらいである最大酸素摂取量への刺激は、「最大酸素摂取量に対応する走速度(vVO2max)」という概念と関連が深く、この速度が持久走のパフォーマンス指標として意味を持つこと、多くの人が概ね数分程度しか維持できないことが報告されています(Billat, 1996)。練習量の大半をE(楽なペース)に置くという発想も、強度分布の研究と方向性が一致します。よく鍛えられた持久系選手を対象にした介入研究では、低強度を多くとる「両極型(ポラライズド)」の配分が、主要な持久性指標の改善で有利だったと報告されています(Stöggl & Sperlich, 2014)。ただしこれは鍛錬者を対象にした結果であり、市民ランナーや走り始めの方にそのまま当てはまるとは限りません。
誰に向くか、誰には向かないか
本書が特に向いているのは、次のような方だと考えられます。
- 練習の「なぜ」を理解したい市民ランナー
- 5000m・10km・マラソンなどで記録を意識し始めた方
- 指導する側で、強度の考え方の土台を整理したい方
一方、最初の1冊としては向かない場合もあります。まず走る習慣そのものを作っている段階の方には、情報量が多く感じられるかもしれません。この段階では走る楽しさや続ける工夫を優先し、距離の増やし方を穏やかに考えるほうが現実的だと考えられます(走る距離の増やし方)。本書は健康な人が走力を高めていくための一般的な枠組みであり、痛みや故障への対処を扱うものではありません。読み方によっては「もっと追い込むべき」と受け取ってしまう方もいるため、目的と現状を照らしながら使いたい本です。
指導現場から見た、読むときの注意点
この本は「ペース表の本」というより「目的の本」として読めます。速さを上げること自体ではなく各練習が体に何を求めているのかを軸に置いているため、筋力トレーニングや動きづくりと組み合わせるときに接続しやすいからです(ランナーに筋トレは必要か)。本書の強みはこの一貫性にあります。
注意点は2つ。1つは、枠組みはあくまで設計図であって、体の反応には個人差があることです。同じVDOTから導いた同じペースでも、体調・気候・走歴・故障歴によって、その日にふさわしい強度は変わります。数字を「絶対の基準」ではなく「最初の目安」として扱う姿勢が、実際に使ううえでは欠かせません。
もう1つは、古い観察が独り歩きしやすい点です。「1分間180歩」というピッチの目安は、ダニエルズ氏がエリート選手をエリートの速さで観察したところに由来しますが、そのまま市民ランナーの一律の正解になるわけではありません(ランニングの「ピッチとストライド」)。定番書だからこそ、断片的な数字だけが切り取られて広まりやすい。なぜその数字が出てきたのかまで含めて読むと、誤解を避けやすいと考えられます。負荷の波を数週間単位で眺める発想(ACWRという考え方)とあわせて使うと、強度と量の両面から練習を見渡しやすくなります。
まとめと、次の一歩
本書は「読めば速くなる」類の本ではなく、練習を決めるときの設計図です。使い方は読み手の段階によって変わります。
- 『ダニエルズのランニング・フォーミュラ』(第4版, 2022)は、トレーニングの原理・VDOTによる強度設定・種目別プランを1冊にまとめた定番の理論書です。
- 核にあるのはVDOTと、E/M/T/I/Rという5つの練習強度の枠組みで、練習の「なぜ」を共有する共通言語として使いやすいのが利点です。
- Iのねらい(最大酸素摂取量への刺激)やEを多くとる発想は、独立した生理学研究とも方向性が重なりますが、対象や個人差により当てはまり方は変わります(Billat, 1996 / Stöggl & Sperlich, 2014)。
- 練習を体系立てたい市民ランナーや指導者に向く一方、まず走る習慣をつくる段階の方には情報量が多く感じられることもあります。
- 数字は「絶対の基準」ではなく「最初の目安」。180歩などの古い観察は文脈込みで読むこと、体の反応には個人差があることを前提に使うのが現実的です。
今週の練習を1本選び、それがE・M・T・I・Rのどれを狙ったものだったかを書き添えてみてください。分類に迷った練習があれば、そこが本書を開く入口になります。
関連リンク
- 走り始めに何を買うか——最初に要る3つと、後でいい5つ
- 関連記事:ランニングの「ピッチとストライド」 / ランナーに筋トレは必要か
- 関連記事:走る距離の増やし方——「10%ルール」と故障予防の考え方 / 練習の「詰め込みすぎ」を数字で見る——ACWRという考え方
- 練習設計を一緒に考えたいとき:パーソナル指導(S&C/ランニング)のご案内
参考文献(本書の書誌情報)
- ジャック・ダニエルズ 著/前河洋一 翻訳監修/篠原美穂 訳『ダニエルズのランニング・フォーミュラ 第4版』ベースボール・マガジン社, 2022年. ISBN 978-4-583-11528-3.
- Daniels, J. (2022). Daniels’ Running Formula (4th ed.). Champaign, IL: Human Kinetics. ISBN 978-1-7182-0366-2.(原著)
参考文献(関連研究)
- Billat, L. V., & Koralsztein, J. P. (1996). “Significance of the Velocity at VO2max and Time to Exhaustion at This Velocity.” Sports Medicine, 22(2), 90–108. doi:10.2165/00007256-199622020-00004 / PMID: 8857705
- Stöggl, T., & Sperlich, B. (2014). “Polarized Training Has Greater Impact on Key Endurance Variables Than Threshold, High Intensity, or High Volume Training.” Frontiers in Physiology, 5, 33. doi:10.3389/fphys.2014.00033
