走る前の10分か15分を、その日の練習が気持ちよく始まる形に使いたい。「走る前の静的ストレッチはよくない」と聞いて、では何をすればいいのかで止まっている方は多いと思います。結論から書くと、「よくない」とされているのは主に伸ばした直後の一時的な変化についてで、しかも「一切してはいけない」という話ではありません。
この記事では、走る前に何をどのくらい置くかを、その日の練習の中身に合わせて選ぶ材料を整理します。なお、痛みがある状態で何をどこまで動かしてよいかは扱いません。
「走る前の静的ストレッチはよくない」と言われる理由
静的ストレッチとは、一つの姿勢で筋を伸ばしたまま静止するタイプのストレッチです。よくないと言われる根拠としてよく挙がるのが、運動前の静的ストレッチの急性効果を104件の研究から統合したメタ分析(Simic, Sarabon & Markovic, 2013)です。統合された平均値では、直後の筋力が -5.4% と報告されました。
大きさのイメージとしては、100kgを扱える人が95kg前後になるくらいの幅(実際にその重さを測った研究ではなく、報告された変化率を身近な単位に置き換えた例えです。統合された平均で、個人に生じる差を示すものではありません)。
ただし、パワーの95%信頼区間は0(変化なし)をまたいでおり、「低下する」と言い切れる結果ではありません。同研究の結論も「ウォームアップにおいて静的ストレッチを唯一の活動として用いることは、一般に避けるべきである」であって、「静的ストレッチを一切してはいけない」ではありません。
静的・動的・PNF(固有受容性神経筋促通法)を比較したレビュー(Behm, Blazevich, Kay & McHugh, 2016)では、ストレッチ直後の変化が静的 -3.7%、動的 +1.3%、PNF -4.4% と報告されています。Simic et al.(2013)とは対象研究も統合方法も異なるため、両者の数値を直接比較することはできません。同レビューは、ストレッチの後に動的な活動を含めた場合には、明確なパフォーマンスへの影響は認められなかったとも述べています。ジョグや流しが入る実際の練習前に、実験室の条件がそのまま当てはまるとは限りません。
そして、「直後のパフォーマンス低下」と「数週間続けたときの柔軟性の変化」と「故障予防への効果」は別々の問いです。 ここで扱ったのは一つ目だけ。
では、走る前のウォームアップは何のために置くのか
ウォームアップとは、主となる運動の前に行う準備的な運動のことです。 総説(Behm & Chaouachi, 2011)は、最大下の有酸素運動 → 大きな振幅の動的ストレッチ → 競技特異的な動的活動、という順番を挙げています。総説が整理した推奨であって、この順で組めばタイムが上がる・故障が減ると検証された結果ではありません。
質の高い32件の研究を集めたメタ分析(Fradkin, Zazryn & Smoliga, 2010)は、検討された評価指標の79%でパフォーマンスの改善が示されたと報告しています。この「79%」は「79%の人が速くなる」ではなく、評価指標のうち改善が示されたものの割合。対象もさまざまな身体活動で、ランニングのタイムだけを見た数字とは違います。
「けがを防げる」と言い切れる証拠は、まだ揃っていない
現時点で、「ウォームアップをすれば故障を防げる」と言い切れる証拠は揃っていません。同時に、「意味がない」と示されたわけでもありません。
ランダム化比較試験に絞ったレビュー(Fradkin, Gabbe & Cameron, 2006)では、質の高い5件のうち3件で故障リスクが有意に低下し、2件では有意な減少が示されませんでした。結論は「推奨することも、中止することも、根拠は不十分である。ただしエビデンスの重みは故障リスクの低下に傾いている」。
男性の市民ランナー421名を16週間追跡した試験(van Mechelen et al., 1993)では、ウォームアップ・クールダウン・ストレッチの健康教育を行った介入群と対照群で、走行1,000時間あたりの故障発生率が対照群4.9件・介入群5.5件、介入は故障件数の減少には有効ではありませんでした。1993年の報告で、対象は男性の市民ランナーに限られ、介入も「プログラムそのもの」ではなく教育とその後の実施です。
ストレッチに限れば、メタ分析(Lauersen, Bertelsen & Andersen, 2014)の介入種類別の解析で、ストレッチ介入のスポーツ外傷リスク比は 0.963(95%信頼区間 0.846〜1.095)。1.0をまたいでおり、リスクの低下は認められませんでした(同分析の25件のランダム化比較試験・約26,610名は複数の介入を合わせた全体の規模で、ストレッチ単独の試験数ではありません)。同じメタ分析で筋力トレーニングのリスク比は 0.315(0.207〜0.480)です(走りを再開するときに整える順番)。
この3つは対象も介入も測っているものも異なるため、数値を並べて比較することはできません。「ウォームアップ=故障予防」とも「無意味」とも単純化はできません。故障の話としてより直接に扱われてきたのは、距離の増やし方や週単位の負荷の眺め方のほうです(走る距離の増やし方、ACWRという考え方)。
現場で置いている10〜15分
ここからは研究の結論ではなく、指導の現場で私が置いている目安です。 検証された手順ではなく、これで速くなる・故障が減ると言えるものでもありません。個人差があります。
一つの目安として、全体で10〜15分程度。①ゆっくりのジョグで息と体温を上げる、②動的ストレッチ(脚を前後に振る、股関節を回すなど)を動きを止めずに、③流しやドリルなど、その日の練習に近い動きを少し。この並び自体は Behm & Chaouachi(2011)の総説が挙げる構成と方向が一致していますが、時間配分は現場での運用であり、研究から導いた数値ではありません。強度は漸増させ、最初から速く走らない。終わったときに「これから走り出せる」と感じる程度で、息が上がりきっているなら行き過ぎ、というのが線引きです。
走る前の静的ストレッチは、一律には禁止しません。特定の部位に可動域の制限があって動きが作れないケースでは、短く使うことがあります。一方で、全身を長く伸ばしてから走り出す組み方は避け、じっくり伸ばす時間は走った後に回す。Simic et al.(2013)の「唯一の活動として用いることは避けるべき」という報告と方向は一致していますが、個々のメニューは検証されたものではありません。
走り出しの動きづくりが気になるなら、下半身の筋力や動作パターンの土台に課題があることもあります(走る人の下半身筋トレ)。跳ぶ・弾む動きを入れる場合は、その前に土台を整える順番があります(ランナーのプライオメトリクス)。
なお、走り始めに毎回同じ場所が痛む、ウォームアップしても痛みが引かない、休んでも痛みが続く——といった場合は、ウォームアップの工夫で対処するのではなく、早めに整形外科などにご相談ください。強い痛み・著しい腫れ・体重をかけられない・急なケガの場合は、様子を見ずに受診してください。これは注意したい状況の例であり、当てはまらなければ安全という意味ではありません。痛みがある状態で何をどこまで動かしてよいかは、この記事では判断できません(部位別にはアキレス腱、シンスプリントでも触れています)。
まとめと、次の一歩
ここで並べた研究は、対象も介入も測っているものも異なります。数値を比べて優劣を決められるものではない、という前提で要点を読んでください。
- 「走る前の静的ストレッチはよくない」とされる根拠は、主に伸ばした直後の一時的な変化です(Simic et al., 2013。数値と95%信頼区間は本文の図へ)。パワーは0をまたいでおり低下と言い切れません。 結論は「唯一の活動として用いることは一般に避けるべき」であり、「してはいけない」ではありません。急性の影響と、長期の柔軟性や故障予防は別の問いです。
- パフォーマンス面では、32件の質の高い研究のメタ分析で、検討された評価指標の79%で改善が示されたと報告されています(Fradkin et al., 2010)。「79%の人が速くなる」という意味ではなく、対象もランニングに限りません。
- 故障予防については証拠が限定的です。 レビューでは「推奨も中止も根拠不十分、ただしエビデンスの重みは低下側」(Fradkin et al., 2006)、市民ランナー421名の試験では故障件数の減少なし(van Mechelen et al., 1993)、ストレッチ介入の外傷リスク比は0.963(95%信頼区間 0.846〜1.095)でした(Lauersen et al., 2014)。
- 一つの目安として10〜15分を、ジョグ → 動的ストレッチ → 練習に近い動き、の順で漸増させます。これは指導上の扱いであり、研究から導いた手順ではありません。走り始めに毎回同じ場所が痛む、痛みが数週間続くといった場合は、ウォームアップの工夫ではなく医療機関にご相談ください。
次に走る日は、ジョグの後に動的ストレッチを2種目だけ足してみてください。走り出しの1kmがどう感じられるか、そこから自分の型を決めていけます。
関連リンク
- 故障予防の考え方——なぜ「休む」が練習になるのか(総論)
- 関連記事:走った後のクールダウンとストレッチ / 走る距離の増やし方 / 走る人の下半身筋トレ / ACWRという考え方 / ランナーのプライオメトリクス
- 練習の組み立てを一緒に設計したいとき:パーソナル指導(S&C/ランニング)のご案内
参考文献
- Fradkin, A. J., Zazryn, T. R., & Smoliga, J. M. (2010). “Effects of warming-up on physical performance: a systematic review with meta-analysis.” Journal of Strength and Conditioning Research, 24(1), 140–148. doi:10.1519/JSC.0b013e3181c643a0
- Fradkin, A. J., Gabbe, B. J., & Cameron, P. A. (2006). “Does warming up prevent injury in sport? The evidence from randomised controlled trials.” Journal of Science and Medicine in Sport, 9(3), 214–220. doi:10.1016/j.jsams.2006.03.026
- Simic, L., Sarabon, N., & Markovic, G. (2013). “Does pre-exercise static stretching inhibit maximal muscular performance? A meta-analytical review.” Scandinavian Journal of Medicine & Science in Sports, 23(2), 131–148. doi:10.1111/j.1600-0838.2012.01444.x
- Behm, D. G., Blazevich, A. J., Kay, A. D., & McHugh, M. (2016). “Acute effects of muscle stretching on physical performance, range of motion, and injury incidence in healthy active individuals: a systematic review.” Applied Physiology, Nutrition, and Metabolism, 41(1), 1–11. doi:10.1139/apnm-2015-0235
- Behm, D. G., & Chaouachi, A. (2011). “A review of the acute effects of static and dynamic stretching on performance.” European Journal of Applied Physiology, 111(11), 2633–2651. doi:10.1007/s00421-011-1879-2
- van Mechelen, W., Hlobil, H., Kemper, H. C. G., Voorn, W. J., & de Jongh, H. R. (1993). “Prevention of running injuries by warm-up, cool-down, and stretching exercises.” The American Journal of Sports Medicine, 21(5), 711–719. doi:10.1177/036354659302100513
- Lauersen, J. B., Bertelsen, D. M., & Andersen, L. B. (2014). “The effectiveness of exercise interventions to prevent sports injuries: a systematic review and meta-analysis of randomised controlled trials.” British Journal of Sports Medicine, 48(11), 871–877. doi:10.1136/bjsports-2013-092538
